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■ 東北ウーマンインタビュー


震災を乗り越え、人とのつながりが生まれる場所に

震災を乗り越え、人とのつながりが生まれる場所に
鹿島御児神社 権禰宜 窪木浩枝さんインタビュー

「鹿島御児神社」は宮城県石巻市に鎮座する神社です。窪木浩枝さんに権禰宜という職務やりがいや、東日本大震災からこれまでの歩みについて、詳しくお話を伺ってきました。

 

権禰宜(ごんねぎ)とは?

 

神職の職階の一つで、禰宜の下位にあたる最も一般的な職階。

宮司および禰宜が一般的に、1社に1人ずつと決められているのに対して、権禰宜には人数制限は特に設けられていない。(出典:weblio辞書)

 

お客様を理解し、受け入れる姿勢を大切に
 
 
菊池) 窪木さんが権禰宜になられたきっかけは何だったのでしょうか。

窪木 ) 私は鹿島御児神社の娘で長女なんです。小さい頃から両親には「継ぎなさい」と言われて育ってきました。
神様の敷いたレールに従って、中学・高校と卒業し、國學院大學に進学しました。4年間勉強した後、戻ってきた形です。22歳の時からこのお仕事をしています。

菊池 ) そうなのですね。権禰宜の役職について、ぜひ詳しく教えてください。

窪木 ) 神社には様々な役職があり宮司が1番上の位で、いわゆる企業でいう社長です。権禰宜の「権(ごん)」はその次の役職ですよという意味なので、禰宜の次にあたります。
鹿島御児神社は、私の父が宮司、主人が禰宜、その次が私と母という役職になっています。

菊池 ) 窪木さんはこのお仕事に就いてすぐ「権禰宜」になられたのですか?

窪木 ) そうですね。鹿島御児神社のような家族で奉仕している神社ですと、神社資格を授与されて帰って来ると、すぐ禰宜や権禰宜になることが多いです。

菊池 ) 実際に権禰宜になられると、どんなお仕事から始まるのですか?

窪木 ) 主な仕事は祈祷ですが、掃除や準備など雑用も多いです。小さい頃から家の手伝いをしたり、大学の時からよその神社にお手伝いに行っていたので、やるべきことはなんとなく理解していました。ただ、権禰宜になった最初の5年間は、自分で何かを動かすというよりも、父の言うことに従って仕事をしていました。

ですが、結婚をして主人と同じお仕事をするようになってから、独特のルールや文化に違和感を覚えました。主人や母と3人で話し合い、少しずつ変えていきましたね。3人で情報を共有し合い、父に「このままではいけないので変えてください」と自ら提案するようになりました。
 
 
菊池) 「変えていった」というのは、具体的にどう変化させていきましたか。

窪木 ) 細かいことですが、現在のやり方にそった方法での準備の仕方や時間の使い方ですね。今まで時間をかけて行っていたお祭りの準備を効率よく行うようになりました。

私は結婚した次の年から子育てが始まったのですが、自分が母親になったことで子どもが関わる行事の際に、お客さんが何を求めているのかを常に考えるようになりました。

例えば、七五三やお参りにいらっしゃるお子さんにあげるお菓子を工夫したり、小さいサイズにして待ってる間に食べきれるようにしたり…。
中には「お菓子を食べさせたくない」という親御さんや、アレルギーで食べられない子もいるので、聞いてから必ず渡すようにしています。母親になってから、より目を配るようになりましたね。

菊池 ) それは母になってからの変化でしょうか?

窪木 ) そうですね。自分が母にならないと分からなかったことですし、気付かなかったことだと思います。時代によってそれぞれの家のやり方があるので、理解し受け入れていくことを大切にしていますね。
 
「権禰宜」という役職は私にとって宿命
 
菊池 )時代によって日本の文化も新しくなってきていますが、年中行事のやり方も変わってきていますか?
 
 
窪木)ここはあまり変わっていないですね。石巻市は祖父母と一緒に住んでいるご家庭が比較的多いので、七五三やお宮参りなどは代々受け継がれている着物をお孫さんにも着せている方がいらっしゃいます。今も昔も変わらず自宅から晴れ着を着てきて、お参りをしてくださるご家庭が多いです。

菊池 ) そうなのですね。先ほど、年中行事のお仕事内容をお伺いしたのですが、普段の1日のスケジュールはどのように過ごされているのでしょうか。

窪木 ) 神社は朝早くから開いているイメージがあると思いますが、私も母も主婦業をやっているので9時からのスタートです。ご祈祷は9時半から開始としています。
今は「御朱印ブーム」なので、御朱印巡りをしている方が朝早くからいらっしゃいますね。最近は、母と主人は御朱印書きに追われています。(笑) あとは電話対応と祭典の準備です。
 
 
鹿島御児神社の御朱印
 
 
菊池) 若い方でも、御朱印集めが趣味の方がいらっしゃいますよね。

窪木 ) 土日祭日もご祈祷より、御朱印やお守りを受けられる方も多いですね。
あとは、社務所が昨年完成したばかりなので、新しい畳にカビが生えないよう、日々手入れをしています。東日本大震災で被害に遭った本殿の再建をし、神様に本殿にお帰りいただく遷座祭の準備で10月は大忙しでした。
 
 
 
 
10月に行われた遷座祭
 
菊池) 人と関わることが多いお仕事だと思いますが、窪木さんがやりがいを感じるのはどんな瞬間ですか?

窪木 ) 私はこのお仕事を「宿命」だと思ってやっています。自分の歩いてきた人生は、神様が敷いてくださったレールでもあるので、より感謝の気持ちを持って仕事をするようにしていますね。
その中でもお宮参りなどの行事は嬉しいですね。お宮参りや安産祈願は私にとって特別なものがあります。

菊池 ) それは窪木さん自身が母だからなのでしょうか?

窪木 ) おめでたい行事だというのも理由なのですが実は私、夜は産婦人科で准看護師として働いているんです。病院で「神社の方ですよね…?」と声を掛けられることもあります。(笑)
安産祈願をして、お産の経過をみて…お互い気付かない時もあるのですが、赤ちゃんの誕生は感慨深いものがありますね。権禰宜・看護師・主婦という3つの仕事を掛け持ちしていますが、全部が楽しいです。

菊池 ) いつ頃から看護師のお仕事をするようになったのですか?
 
 
窪木) 私自身、看護師になるのがずっと夢だったんです。当時、既に子供が3人いて、下の子はまだ1歳。そんな時に、試験を受けられるチャンスがあったので「どうしても1回試験を受けさせてほしい」と、家族を説得しました。主人や家族の全面的なサポートもあり、35歳の時に准看護学校に通い始めました。

その時、実習に行ったのが今働いている病院なんです。私の仕事のことを理解してくださっている職場ですし、どちらの仕事でも「やっぱり命の誕生はいいな」と思いますね。

菊池 ) 権禰宜と准看護師をしているからこそ、より命の繋がりを実感できるのですね。
 
震災直後からこれまでの復興の様子を見守ってきた
 
 
菊池) 権禰宜のお仕事をしていての苦労を教えてください。

窪木 ) どんな職業もですが「女性って大変だな」と感じることが多いですね。
今は女子神職として認知されてきましたが、若い頃はお客さんにも「神主さんいないんですか?」と言われることが多く悩みました。祖母も母も同じ仕事をしてきたので、きっと私以上に大変だったと思います。

菊池 ) そのプレッシャーをどう乗り越えているのでしょうか。

窪木 ) どの世界でもあることですが、日々プレッシャーとの闘いです。特にこの仕事は代々受け継がれている「神様を守る仕事」なので、自分に気合いを入れて常に日々感謝しながらご奉仕しております。

菊池 ) そうなのですね。石巻市で権禰宜をやられていて良かったと思うことはありますか?
 
 
窪木) 石巻の人々にとって、日和山はとても身近に感じる場所のひとつだと思います。震災直後は、毎日のように他県から何台もの大型バスが来ていましたし、ロケーションが良いこともあってか、震災後から来てくださる参拝者は確実に増えました。

菊池 ) 震災から月日が経ち、状況の変化を感じていらっしゃると思います。震災が起こる前と後では、どんなことが変わりましたか?

窪木 ) 1番大きかったのは、※氏子さんたちが被災してしまったために内陸のほうへ離散しまったことです。神社で行事をするにしても、協力いただける方が少なくなってしまいましたね。
※氏子:その地域の住人で、その土地の氏神におまつりをする人。

菊池 ) お客さんの中にはそのまま石巻に住み続けている方もいらっしゃれば、離れて暮らす方もいますよね。

窪木 ) そうですね。内陸地区には復興住宅が多いため、そちらに住んでいる方が多いです。
ただ、崇敬者はいらっしゃるので、遠くに引っ越してしまった方でも以前と変わらず来てくれる方がいます。石巻だけではなく、隣の市からお参りに来る方もいらっしゃいます。「来たよ!」と声を掛けていただけるのは、やっぱり嬉しいですね。
 
 
 
鹿島御児神社から見える石巻市の様子
 
菊池) 窪木さんは、震災直後からこれまでの復興の様子をずっと見守ってきているんですね。

窪木 ) はい。小さい頃に見てきた風景から、震災時の悲しい被災の記憶まで。震災直後の映像や音は、私の中に未だに焼き付いています。
震災時、鹿島御児神社は避難所ではなかったのですが、避難できる場所がなく地域の方々がたくさん集まってきました。当時は私たちも何をしていいか分からなかったのでサンダルを貸したり、毛布を貸したりと混乱の中で対応をしました。とにかく夢中だったという記憶しかないのです。

ですが、最近は「悲しい記憶も記録に残すことって大事だな」と少しずつ前向きに考えられるようになりましたね。震災直後の瓦礫や車も人の手によって片付けられていき、整備がされ、公営住宅ができ、段階を踏んでの今があります。来てくださった人達には、その歴史をぜひ知ってもらいたいです。

菊池 ) 震災時は社務所が地域の方の避難所になっていたのですね。

窪木 ) そうですね。ですが、当社の社務所は古くて危険な状態でした。宮城県沖地震など大きい地震に何度も見舞われているので、壊れる寸前でした。そのような状況では、受け入れが難しくとても悲しい思いをしました。
このようなことがあり、社務所を再建しました。大きな災害はもちろん、何かあった時に地域の人の助けになればと。宗教者としての願いでもあります。
 
 
新しく立て直した社務所
 
菊池)地域の方から「信頼される場所」になっている実感はありますか?

窪木 ) 目に見える変化だったので、地域の方にも喜んでもらえました。これからも、何かあった時に対応できる場所にしたいと思います。

菊池 ) 震災を乗り越え、石巻で権禰宜をされてきて嬉しかったことを教えてください。

窪木 ) 震災後、社務所や本殿を再建するとなったときに総代をはじめ、様々な人が手を貸してくださり、アイデアを提案して頂くことがありました。
協力してくださる人がたくさんいたことは純粋に嬉しかったですし、頑張っていれば認めてくれる人がいるんだなと実感しましたね。

菊池 ) 窪木さんが神職として真摯に向き合ってきた結果ですね。これからの鹿島御児神社の目標をぜひ教えてください。
 
 
窪木) 私自身、来てくださった方々に楽しい思い出をつくって帰ってほしいと思います。今後、地域の人が安心できる場所であるのはもちろん、人との縁やつながりができる場所にしていきたいですね。
これまでのことを思い返すと、遠くから来た方は必ず景色を見て帰っていかれます。 ある参拝者は「震災後は辛くて景色を見に来れなかった。ごめんね」と言われて…。「見れるようになってよかったね」と一緒に涙を流しました。

これから先、どんなに辛く悲しいことがあっても、鹿島御児神社からの景色をまた見られるような場所でいたいです。「この景色がみたいからお参りにくる」と言っていただける、そんな場所にしていきたいですね。

菊池 ) 今までもこれからも地域の方々から信頼される場所なのだと感じました。貴重なお話をありがとうございました。
 
 

( 撮影 : 長瀬さくら )

≪鹿島御児神社≫

 

〒986-0023

宮城県石巻市日和が丘2-1-10

TEL : 0225-22-1216

鹿島御児神社の詳しい情報は公式HPをご覧ください。
公式SNSはこちら Facebook
profile
窪木浩枝さん
 

宮城県石巻市生まれ
大学卒業後鹿島御児神社に奉職
37歳の時に准看護師免許を収得
モットーは人との繋がりに感謝して、楽しく生きる

interviewer
菊池みなと(特捜きくち)

出身地:宮城県石巻市
趣味:くるりの音楽を聴きながら電車に乗ること
東北の好きな所:東北に住む人の優しさ、あたたかさ
モットー:つながりは力
ひとこと:東北で得た「つながり」は大切な宝物です
<編集後記>
 私自身、初めて鹿島御児神社から見た石巻市の風景をとても鮮明に覚えています。「神社の方々が、どんな思いでこの景色を守り続けてきたのか知りたい」そう強く思い、今回取材をさせていただきました。
 窪木さんはとてもパワフルな方で、お話を聞いている私のほうが元気をもらいました。特に強く印象に残っているのは「これから先、どんなに辛く悲しいことがあっても、鹿島御児神社からの景色をまた見られるような場所でいたい」という言葉です。これまでもそしてこれからも、神社と地域を見守り続けてきた窪木さんの優しさと強さ溢れるお話でした。
 震災から月日が経った今、鹿島御児神社はハード面だけではないこれからの復興を支え続ける場所だと感じました。お忙しい中、取材をお引き受けいただき感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。