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■ 東北ウーマンインタビュー


新たな可能性を『裂き織』からつむぐ

 

新たな可能性を『裂き織』からつむぐ
株式会社幸呼来Japan代表取締役石頭悦さんインタビュー

「幸呼来Japan」は岩手盛岡市にある「裂き織で障がい者の雇用の場をつくり、地域の伝統技術を未来につなぎたい」の思いから、成り立った「裂き織×ビジネス」の企業です。そんな素敵な企業の代表取締役の石頭悦さんに、お話を伺いました。
裂き織りとは 

「裂き織」の起源は江戸時代中期。寒冷な気候のため綿や織維製品が貴重だった東北地方にあると言われています。当時は日常生活に用いる衣類や布団などの布を、裂いて細く繊維状にし、ねじりながら織り上げていました。

17世紀になって、東北地方にも古木木綿(木綿の古布)が入るようになり、その肌触りのよさは多くの人を魅了しました。しかし、古布とはいえ安いものではなかったため、貴重品として「使い切る」文化の中で裂き織技術が発展していきました。

近年は繊維製品が手に入りやすくなり、裂き織はあまり織られなくなりましたが、一方で、その独特の風合いや芸術性、古布や残反(生地の残り)を利用するという特色が注目され、アパレル・インテリア系のデザイナーからもデザイン性の高いエコファブリックとして見直されてきています。

 

昔の知恵で生まれた裂き織
石頭 )裂き織は貧しい地域で発展した織物でした。木綿が流通する前は、北国は綿花が育たなかったため、麻の織物が主流でした。でも、麻は風通しが良いため寒く、刺し子などにして厚くして着る文化もありました。裂き織は木綿が入ってきてから盛んになり、最後までボロボロになったものを織りなおして使うという、昔の人の知恵でできた織物なんです。
東北地方を中心に発展していった織物なんですが、農閑期にお母さんたちが一生懸命織っていました。これは物が不足している地域で発展してるので、実は南方の東南アジアとかにも裂き織に似たものはあるんです。
裂き織は、もったいないから、何かに使えないかなという昔の人の知恵なんです。
高橋 )裂いて織るのは余計時間や、手間がかかりませんか?

石頭 )そうなんですよね。裂いてまた織りなおすなんて、一体どうやって考えたのだろうって思います。本当にボロボロになるまで着ているので、このボロボロになったものを、一回細く裂いて使ったら何かできるんじゃないかな?と思い、やり始めたんでしょうね。昔の人の知恵ってすごいなと思います 。
高橋 )私は初め、裂き織は岩手の固有の伝統かと思っていたのですが、そうではないんですね。

石頭 ) 違うんですよ。実は山形にもあるんです。例えば山形県鶴岡市の致道博物館に織り機があり、そこにかかっている織物も裂き織です。私も見たときは、これ裂き織だ!と思いびっくりしました。

 

「幸せは呼べばやって来るよ」

高橋 )裂き織を仕事にしようと思ったきっかけは何ですか?


石頭 )私が「裂き織」と出会ったのは、勤めていた会社の勉強会で、盛岡市にある高等支援学校を見学したときです。障がいを持つ子どもたちが通うこの学校では、カリキュラムの一環として木工品や園芸品、手芸品などの制作・販売に取り組んでいます。中でも、余り布や古布を細く裂いて織った「裂き織」の美しさ、緻密さにとても感銘を受けました。
このとき初めて「裂き織」という伝統技術が地元で受け継がれてきたことを知りました。それ以来、今まで全然目に入ってこなかった裂き織が、道の駅や物産展などいろいろなところで目に入ってくるようになったんです。しかも、街中で売られているどの裂き織よりも、支援学校で見たもののほうがずっと素晴らしく、生徒さんのレベルの高さに改めて感心したのと同時に「技術を習得しても卒業後の就職にはなかなか結びつかない」という先生の話を思い出しました。
“この技術を埋もれさせるのはもったいない”と思い、勤務先の社長に「裂き織を事業としてやりたい」と直談判をしました。これをきっかけに、盛岡市の緊急雇用創出事業の補助金を得て、2010 年7月に裂き織の生産・販売事業を立ち上げました。支援学校を卒業した障がい者2名を含む、計4人でのスタートでした。 

 

 

順調に成長を続けていた「さんさ裂き織」でしたが、東日本大震災が発生し状況が一変しました。震災の影響で母体である会社の業績が下がり、裂き織事業を続けられなくなったんです。けれど、それにも関わらず、電気も復旧していない震災の翌日に「心配だから」とスタッフたちが工房に来てくれました。そんな彼らに「なんとかして彼らの働く場を確保しなければ」と思い、独立を決意しました。それで、この「株式会社 幸呼来Japan」を設立しました。
「幸呼来」は、さんさ踊りの「サッコラ〜チョイワヤッセ」というかけ声から取ったもので、「幸せは呼べばやって来るよ」という意味です。東日本大震災で大きく傷ついた東北、そして日本に幸せが来るようにという思いも込められています。
 
もともとの裂き織との差別化
高橋 )ブランドについて、どんなものがあるのか詳しく教えてください。

石頭 )ひとつは、事業の立ち上げから取り組んでいる「さんさ裂き織」。これは先ほど言ったように私がもともと勤めていた会社で事業化したもので、独立する前に始まった、一番最初のものになります。
立ち上げ直後だったため、材料の確保が急務でした。いらない浴衣やシーツなどを譲ってほしいと聞いて回ったのですが、普通のものだと他の裂き織との差別化ができなくて、ブランド化するのは難しいと感じました。
そこで、若い子でも“可愛い”思って手に取ってもらえるような、ポップで可愛いものを目指し、さんさ踊りの浴衣を活用することを思いつきました。そこから、さんさ踊り実行委員会さんに、企業さんのいらなくなった浴衣を調達できないか掛け合って聞いてみたところ、無事に調達する事ができ、さんさ裂き織が完成しました。今まであまり注目されていなかった裂き織ですが、そんな感じで若い人たちに手に取ってもらえるよう、また、さんさ踊りのPRや、お土産品になるように。そんな思いを込めて作りました。
(写真 鮮やかな色の裂き織コースター)
高橋 ) 確かにカラフルな色合いで、普通に雑貨屋さんで売っていそうなくらい可愛くておしゃれですよね。

石頭 )「さんさ裂き織」を本当は全国でも展開しようと思い、以前東京で全国のものが集まる物産展に参加しました。その時、さんさ踊り自体の知名度があまり高くなくて、毎回さんさ踊りの説明をしてから商品説明をしていたんです。私は裂き織を売りに来てるのにどうして毎回さんさ踊りの説明をしているんだろうってなって思いました。さんさ踊りを広めなきゃさんさ裂き織は広めるの難しいと感じ、これは地元限定にしようと思いました。
なので東京でも、岩手県のアンテナショップにだけ置くようにしました。
その代わり、デニムの耳や、染物屋さんの染損じなど、さんさ踊りの浴衣以外で企業から使わなくなったものを活用する「Panoreche(パノレーチェ)」というブランドを新たに作りました。ブランドイメージとしてはセレクトショップに置かせてもらえるような商品です。

(写真 アシックスとの共同製作 試作サンプル)

 そして次に立ち上げたのが自社完結だった「Panoreche(パノレーチェ)」とは逆の、メーカーさんから預かった余り布で裂き織をつくり、新たな価値が付加された生地としてお戻しをする「さっこらproject」です。これは地域で裂き織をやっていこうという取り組みです。
他にも2019年の1月に「幸来織(さきおり)」というブランドを新しく立ち上げました作りました。
これは絹の着物を裂き織の素材として活用しようという試みから誕生しました。女性が身に着けるようなちょっと高級感のあるものを作っていきたいな、と思っています。まだ商品数が少なく、これから展開していくブランドですね。
 
高橋 )絹の着物って素敵ですよね。

石頭 ) そうですよね。最初はそんな素敵な絹の着物を裂くんですか…!って気持ちだったんですけど、ずっとタンスで眠っているより、喜ぶんじゃないかなってその絹の着物を持ってきてくださった方がおっしゃって。もったいないけれど確かにそうだと思い、前々から絹のブランドを立ち上げようかなと思っていたのでいい機会でした。
 
障がい者でなく健常者でもなくみんなが仕事人
高橋)仕事のやりがいを教えてください

石頭 ) 現在私は代表取締役で、社長業をメインにしているんですけれど、やっぱり社員の人たちの成長を間近で見れることですかね。今は人数も初期より増えて、健常者の正社員3名、パート2人、障がい者A型7人、B型7人の会社で、みんな“働きに”来ています。当たり前のことなんですけど、稼ぎに来ているんです。だから、しっかり働けるように支援するんです。
高橋 )ここに来た時、皆さんしっかり働くという意識を持って仕事をされているのが伝わってきてました。

石頭 )そうですよね、けど働くって、普通はそういうことじゃないですか。だからしっかり覚えて仕事できるように支援します。今の障がい者福祉の世界は、一つのとこに入ったら他のとこに移るという考え方が、ご家族の方含め、あまり浸透していません。だからここでも、「うちの子の面倒見てくださってありがとうございます」っておっしゃるお母さんもいるんですけど、うちは働いていただいてもらっているんですよってちゃんとお伝えしてます。
高橋 )今後の目標や夢はありますか?

石頭 )盛岡を「裂き織」の産地にすることです。地域でいろんな人が関わり、「裂き織」といえば盛岡市。盛岡市といえば「裂き織」という認識を沢山の人にもってもらいたいです。そしてゆくゆくはSAKIORIを世界の言葉にしたいと思ってます。

 

ここで幸呼来Japanさんの商品を一部紹介です。 取材後、商品を一部見せていただきました!

 

まだまだたくさん商品があるので気になるかたは下のURLからHPへどうぞ! 実際に裂き織体験をしたい方はキットもあります!

 

幸呼来JapanさんURL http://http://saccora-japan.com/

商品ページ https://sooooos.com/shop/index.html?shop_key=saccora

 

幸呼来Japanさんは現在クラウドファンディングでプロジェクトをされています。

4月22日(月)までで、3000円から支援ができますので興味のある方、是非ご協力をお願いします。 『生まれ変わる廃棄物?捨てるなんてもったいない!裂き織100kgチャレンジ』

http://https://camp-fire.jp/projects/view/134462

 

文章は一部、幸呼来JapanさんのHPより引用しています。

 

 

profile
石頭 悦さん

 


1965年 山形県酒田市生まれ

2001年 住宅リフォーム会社に入社し、バリアフリー建築を学ぶ

  福祉住環境コーディネーター2級・インテリアコーディネーター・2級建築士の資格を取得

  バリアフリー専門に住宅改修を行う

2008年 特別高等支援学校で裂き織に出会う

2010年 住宅リフォーム会社で裂き織部門開設

2011年~ 株式会社幸呼来Japan設立 代表取締役

 


(取材:2019年1月)

interviewer
高橋有海

出身地:山形県舟形町
趣味:日本酒の飲み比べ、料理
東北の好きな所:春は山菜、夏は地元の若鮎、秋はきのこ、冬はこたつで飲むお酒
モットー:思い立ったが吉日
ひとこと:東北のおいしいもの、たくさん食べます。
<編集後記>

今回取材に伺った際、一番最初に目に入ったのは玄関すぐに設置されていた商品コーナーでした。色をいくつも使っていて、その鮮やかさに目を奪われました。

その次に見せていただいたのが裂き織重要な「糸」を作っている光景です。「糸」を作っている方々も、その後の織り機で織られている皆さんも無駄のない手つきで糸を作っており、職人だ、かっこいい!と感動しました。

今回取材させていただいた石頭さんもなかなかにロックでかっこいい方で、こんな生き方ができるかっこいい大人になりたい!と改めて進路を考えてしまいました。

平成最後に取材させていただいたのが幸呼来Japanさんでよかったです。忙しい中取材に応じてくださった石頭さん、幸呼来Japanの皆さん本当にありがとうございました!

余談ですが一番人気は商品紹介写真下の三角ポーチだそうです。何種類も色があり、とても可愛くて悩んだのですが、私は父への誕生日プレゼントに右のポーチを購入しました。

父はバッグなどを持ち歩かない人なので、服装のアクセントになるけれど邪魔にならないこのポーチを気に入っている様子でした。素敵なものを購入させていただき重ねて感謝です。