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鈴木 さくら 学生 東北ウーマン
東北の地で繰り広げられる、鈴木さくらの逃避行劇を、素敵な音楽と共にあなたにお届け。大自然の中のスローライフ、ちょっとだけ、覗いて行ってください
さくらの逃避行日記 自己啓発 2022-09-22
田舎の女子大生が東京を経験した話

大学2年生、2ヶ月の長い長い夏休みを私は東京都江戸川区新小岩で過ごした。理由としてあげられるのは実家であり現在も住んでいる山形県米沢市でダラダラ過ごすより東京に住むボーイフレンドの家で過ごす方が有意義だろう、というあるあるな感じだ。

私の僅かながら初めての東京生活、新しい出会いや出来事に想いを馳せ夜行バスに揺られるのも束の間

 

や る こ と が な い

 

本当にやることがない。ボーイフレンドの家で過ごすといっても彼はバイトに出かけてしまうし、家では常に1人だ。最初のうちには夕飯をこしらえて待つという専業主婦スタイルを続けたが、お金を使いたくなく、そして単に飽きたという理由で終いには彼にレトルトカレーを出すということになってしまった。昼間は散々映画を見続けた。やりたいことがないから。

たまに近くの河川敷に出て夕日を見ながら地元からもってきた本を読んだ。なんだか知っている話が多いな…と思ったら、一度読了した本だった。今年の前期は対面授業が少なく引きこもっていたおかげで、ふんわり鬱っぽい状態が続いていた。その為著しく記憶力が落ちており、物事を深く考えられず、常に頭の中に霧がかかったようにぼやぼやとしていた。大好きな作家の本も覚えていられないのかとがっくり来てしまった。

そして、なんせ生活能力皆無の実家暮らしの人間である。日々の生活について、次第にボーイフレンドの気に触れることが徐々に増えていった。“今日は何をしていたの?”“外に出た?”この毎日の何気ない質問が喉に刺さる魚の小骨のようだった。自分のやりたいことがわからなかった。

ホームシックにこそならないもの、鬱々とした日々が続いた。

自分は何がしたかったっけ、何が好きだったかな、どんな人間になりたくて、どんな人間が嫌いだったかな。なぜか何にもわからなかった。思い出せなかった。

なんでもない瞬間に胸がぎゅうっと苦しくなり、涙が出るようになった。

弾き語りで曲を作るボーイフレンドの隣で、私を題材にしたのかしていないのかわからない歌を聞いて静かに泣いた。

ある時、今までにないほどボーイフレンドを苛立たせてしまい、大喧嘩をした。窓が開け放しの状態だったので、私たちの怒鳴り声は近所に響き渡り警察に通報されてしまった。そこで私たちは生まれて初めての事情聴取を受けることになるのだが、私はそこでハッとした。

 

“私は今、全身で19歳を全うしている。“ 

 

ボーイフレンドにはもう君と過ごすのは無理だから地元に帰ってと言われてしまった。私はどうにか許しを乞うために高校2年生から伸ばしていたロングヘアを自分でバッサリ切った。私よりも成人式の着物姿に気合が入っている母親は鬼の形相を頭に浮かべていたが、後悔はあまりなく、もはや清々しく思えた。切り離された私の頭にくっついていたものが手の中で無になっていく様子をじっと見た。

 

“激しい、激しくて良い感じだ”、そう思った。

やはり実家暮らしだと、自分だけの人生だと感じにくいものがあると思う。私の場合は親に守られて、毎日兄弟に話を聞いてもらえて、田舎故に電車が少ないので早めに帰宅し、遊び場がないのでそもそも夜遊びしない。安定した健全な小学生となんら変わりない生活で、自分の人生を考え、コントロールしようという孤独な時間がなかった。自分の人生が他人事のようで、若さだけを余りに余らせていた。

そして私自身、周りの友人が高校を卒業してすぐ上京したがる理由がよくわからず、地元で何も成し遂げていないのに、なぜ東京には何かあると信じられるのだろう、そう思っていた。

しかし大事なのは場所でなく、孤独と刺激を若いうちに思う存分享受することなのではないか。

この東京で過ごした1ヶ月、私は何かを成し遂げたとか、将来に確実に繋がることができたとか、そんなことは一つもしていないが、少なくとも“私は私だけの人生を持っている”ということを、自覚できたような気がする。


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