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■ 東北ウーマンインタビュー


大好きな秋田で見つけた自分の「居場所」と「生き方」

 
 

大好きな秋田で見つけた自分の「居場所」と「生き方」
公立大学法人 国際教養大学 山部理沙さんインタビュー

山部さんは大学進学をきっかけに、地元の大阪府から秋田県に移住。そこで出逢った人々や環境に魅了され、大学卒業後は秋田県内の企業に就職します。「なぜ、秋田に残ろうと思ったのか」。国際教養大学での4年間の学びや、秋田への熱い想いについてお話を伺ってきました。東北ウーマン初、現役大学生のインタビューです。

 

地元の大阪府から秋田県の国際教養大学へ
 
 
菊池) 山部さんは大阪出身とお聞きしました。はるばる秋田の国際教養大学に進学したきっかけを、ぜひお聞きしたいです。

山部 ) 私は幼少期に、インターナショナルスクールに通っていました。幼い頃から、日常的に英語に触れていたこともあり、高校卒業後はイギリスの大学に通いたいと思っていました。ですが、金銭面での負担が大きく進学を断念したんです。
そんなとき、父が国際教養大学の資料を持ってきてくれて。国際教養大学では、1年間の留学義務があるのですが、行きたいと思っていたイギリスの大学にも留学出来ることを知り、受験しました。大学の理念や環境が、あまりにも自分の肌にあっていたので進学することを決めましたね。

菊池 ) 「イギリスの大学に行きたかった」ということですが、何か理由があったのでしょうか?

山部 ) 実は大学に進学するまで、海外で数学の教師になりたかったんです。高校にイギリスの大学の人が来てくださって、大学の説明を聞いた時大学を囲む自然や景色、教師になるコースにも興味を持ちました。国際バカロレアという2年間の教育プログラムを受けていて、資格が取得できればイギリスの大学を3年で卒業できるということでイギリスの大学への進学を目標にしていました。

菊池 ) 国際教養大学に在学していらっしゃるので、勝手ながら英語の先生だと思っていました。英語ではなく、数学なのですね。

山部 ) 昔から数学が好きで、中学生のときも分からない問題を友人に教えていました。「分かりやすい!」と言ってもらえるのが、何よりも嬉しかったので先生を目指すようになりましたね。

菊池 ) インターナショナルスクールに通われていたのは、何か理由があったのですか?

山部 ) 両親の影響ですね。3歳から通っていたのですが「これからの社会では英語が必要だ」という両親の考えと、共働きだったこともあり18時まで託児してくれることも理由だったと聞いています。中学と高校からは、京都の学校に通っていました。
 
菊池 ) 国際教養大学では、どんな勉強をしてきたか教えてください。
 
 
<山部 ) 国際教養大学は教養学部のみなのですが、その中でもビジネスを専攻していました。マーケティングやマネジメントの授業を中心に受けてきました。

菊池 ) そうなのですね。教員の道に進もうとは思わなかったのですか?

山部 ) もちろんずっと進もうと思っていました。大学1年生から教職課程が取得できたので、教育概論と教育心理学の授業を受けました。
ですが、教職を勉強していく中で感じたのは、自分は教師になりたいけれど学生よりも大人の前で教えるのが良いと思い始めて。国際教養大学で取得出来るのは、高校の英語の先生の免許だったので、中学数学を教えたかった私にとってはやりたいことではないなと思い、教職課程はやめてビジネス専攻に専念することにしました。

菊池 ) 学生よりも大人の前で教えたいと思ったのは、大学での気付きなんですね。

山部 ) そうですね。インターナショナルスクールに通っていたからか、ときどき自分の考えが変わっているなと思うことがあります。(笑)

菊池 ) それはどんな場面で感じるのですか?
 
 
山部 ) 物事を人とは違う視点から見ることが多いと感じます。 例えば、全く出てこなかった質問や発言をしてしまって、驚かれてしまったり。その後、冷たい視線を感じた時は「あぁ、またやってしまった…」なんて思ったこともあります。
あと、就職活動をしていて思ったのは「なんで型にはまった方法でしか、就活が出来ないんだろう?」ということですね。やりたくないことを、無理してやる必要ないんじゃないかなと。そんなことを考えているうちに、自分のような考えを持つ人が働ける場所や、環境が少ないのではないかと感じるようになりました。そんな場所を作りたいと考えるようになったので、相手は子供ではなく大人だと思いましたね。

菊池 ) なるほど。「型にはまらない生き方」を山部さんはずっとしてきたのですね。

山部 ) そうですね。幼い頃からずっと抱いていました。小学校の時から、お掃除クラブや一輪車クラブを立ち上げていたので、無いものを1から作り上げることが好きでした。学校も反対せず、後押ししてくれるような環境だったので、のびのびと学んでいましたね。やはり昔から、かなり異質な生徒だったなと思います。(笑)

菊池 ) 自分の意思をしっかりと持つ姿勢は、これまでの経験から培われたのですね。
 
外部活動からとある気持ちが芽生え始めて
 
菊池 )学部の中ではマーケティングが中心だったということですが、サークルやクラブ活 動はやっていましたか?
 
 
山部)大学1年生からパイプ委員会に所属しています。パイプ委員会はその名の通り、人と人とを繋げるパイプのような役割を果たすために、大学内でイベントを作ります。一言でいうと、学内での交流の場の提供ですね。就職活動のイベントや留学のイベントを企画し、上級生と下級生が話せる機会を通して、先輩方のリアルな体験を聞くことが出来ます。
国際教養大学は、必須の1年留学留学があるので「なぜその国を選んだのか「どういう授業を受けてきたか」「どれだけ単位を取れたか」など、具体的な質問も多かったですね。かなり新鮮な情報をやりとりしていた印象です。

菊池 ) 印象に残っている授業や活動はありますか?

山部 ) 大学2年生の秋に取った授業が印象に残っていますね。 「幼少期」について学ぶもので、西の世界から、ヨーロッパやアメリカの世界の教育について16世紀から考える授業でした。たまたま4年生ばかりが集まった授業でもあり、ディスカッションの質が高かったですね。みんなで話す中で、16世紀は3~4歳から大人と言われてたり、アメリカでは成人は21歳だけど、日本は20歳だったり。どうして国によって違うのか。そもそも「幼少期」って何を持って定義しているんだろう?というような議論が面白かったです。
 
 
菊池 ) 国によって違うことが多いのですね。どういう形の授業だったか、ぜひ教えてください。

山部 ) 75分間の授業で、毎回課題で読み物が与えられます。課題の質問を考えて4~5人のグループでディスカッションしていましたね。ディスカッションしたことを発表したのですが…どんな内容だったかは忘れてしまいました。(笑)

菊池 ) ディスカッションは凄く興味深いです。学外で、自主的に何か活動しているものはありますか?

山部 ) 私はよく、周りの友人に「大学にいないよね」と言われていました。(笑) それぐらい、学外で活動していたように思います。
パイプ委員会の活動でリンゴ農園のお手伝いをしたのですが、1からリンゴを育て、育てたリンゴを使った食べ物を学祭で売りました。祖父母が岡山の片田舎に住んでいることもあり、私自身が田舎暮らしに憧れや興味があって。大学2年生の秋に、農家民宿の体験プログラムに参加してそこで知り合った人とも交流しました。
 
 
りんご農園のお手伝いをしたときの様子
 
菊池 ) どんなことにも意欲的ですね!農家民宿の体験は具体的にどんな活動でしたか?

山部 ) 角館市、仙北市内に内陸線が通っているので、内陸線を使って、作ったものを1個1個農家さんが駅に届けるんです。届けてもらうことでやっとご飯が食べられるということをする体験ツアーのお手伝いをさせてもらいました。この経験から「将来は民宿を開業したい」という気持ちが芽生え始めて。地域の方々と交流して、輪を広げています。

菊池 ) 田舎暮らしに憧れがあるということは、秋田の環境が合っているということですかね?

山部 ) 今はそうですね。ですが、大学1年生の時は、早くここから出たいと思っていました。(笑)

菊池 ) 意外ですね…!何か理由があったのでしょうか。

山部)理由はカルチャーショックが大きかったことですね。祖父母のところは、遊びに行くと誰かが車を出してくれますが、大学入学当時は車も免許もないですし、バスも1時間に1本、あるかないかの世界で、自分が想像している田舎とは違ったのだと思います。
ちなみに、国際教養大学の学生は居住率が9割で、敷地内にある寮に住んでいます。それ以外の学生はバスや車を使って学校に来ています。 私がこうして秋田を満喫しているのは、車がなくてもいけるツアーに参加して「また会いたい」と思える人を作ったことから始まったのかもしれません。昨年9月に車を持ち始めてからは、積極的に色々なところへ出かけるようになりました。

菊池 ) 居住率9割は、それだけ多くの場所から学生が集まっているということですね。最近のドライブでは、どこに行ったのでしょうか?

山部 ) 羽後町、仙北市、など色々なところへ行きました。次は能代市に行く予定なので、楽しみです!
 
秋田の人の温かさに魅了されて
 
菊池 )先ほどのお話の中で、農家の仕事を手伝う中で「民宿をやりたい」と強く思うようになったとお聞きしました。もともと農業に興味はあったのでしょうか?

山部 ) そうですね。秋田のおばあちゃんと話すのが楽しいんです。将来は自給自足の生活がしたいと思っています。(笑)

菊池 )そう思うようになったのは何か理由があったのでしょうか?

山部 ) 出逢ったおばあちゃん達の温かさですね。皆さんお世話焼きで、お母さんと呼んでいます。成人式の日も電話をかけてくれましたし、帰省から帰ってくると「おかえり」と言ってくれます。手紙のやりとりをする方もいらっしゃるくらい、良い関係が築けていますね。
 
 
仙北市のお母さん
 
菊池 )一緒に住んでいなくても家族のような感覚になりますね。

山部 ) そうです。その出逢いが、たまたま民宿をやりたいという夢に繋がりました。

菊池 )秋田に来てからの出逢いの中で、印象深いエピソードがあれば教えてください。

山部 ) 横手市のモニタリングツアーに参加したのですが、そこで出逢った横手市の方と文通をしていました。 私が留学前だったこともあり「帰ってきたら横手のかまくらまつりにおいで」と言ってくれて。留学中は電話が使えないので、何度か文通をしていましたね。日本に帰国してすぐに電話をして、かまくらまつりに行き、案内していただきました。ずっと繋がっていたからこそ、1年越しに再会することが出来ましたね。
 
 
横手市のお母さんと初めてお会いしたモニタリングツアーの様子
 
菊池 )人との繋がりの大切さを再確認したのですね。

山部 ) 昨年はその方と紅葉も見に行きました。いつも「孫のようだ!」と言ってくれるの が嬉しいです。
 
 
横手市のお母さんとお父さん
 
菊池 )身内ではないですが、素敵な関係ですね。羨ましいです!
 
友人のおかげで世界が広がった
 
菊池 )国際教養大学に入ったからこそ、出来たことは何かありますか?

山部 ) 自分の居場所が見つかったことですね。大阪出身ですが、ずっと学外の学校に通っていたので地元の友人が少ないです。当時は成人式も出ないくらい、孤独を感じていました。岡山の祖母の家も一緒で、そこは家ではなく遊びに行く場所なのですが、秋田は自分の家という実感があります。知り合いの輪が広がったことで、県内にも多くの知り合いが出来ました。
あと、秋田は「何もない」と言われることが多いですが、私自身、色んなことに行ってから分かることがたくさんありました。国際教養大学には面白い人が多く、興味を持ったらなんでも実行する友人がいて。その人について行くだけで世界が広がりました。 以前まで引きこもりがちだったのが、外に出ることが楽しくやみつきになりましたね。国際教養大学で出逢った人がいたからこそ、視野が広がったの感じています。
 
 
国際教養大学 パイプ委員会のメンバー
 
菊池 )世界が広がった経験や影響を受けたエピソードはありますか?

山部 ) 1番思い出深いのは、車を持って間もない頃、羽後町の空き家再生プロジェクトに参加したことです。そこで出逢ったのが、秋田県内の就職相談をしている方で私の秋田に残りたいという思いを聞いてくれました。出逢って次の日「今日事務所においで!」と言ってくれたんです。私はその日、予定があって1時間半しか時間がありませんでした。大学から秋田市内までは往復1時間かかるので、実質話せる時間は30分。「どうしようかな…」と一瞬悩み、気付いた時には車を走らせていました。
このエピソードがのちに就職に繋がりました。その30分が無かったら、就職先は秋田でなかったと思います。

菊池 )30分の中で、運命の出逢いが待ち受けていたのですね!
 
秋田は人も環境もどちらも自分に合っている
 
 
菊池 )山部さんが感じる、秋田の好きなところはどんなところですか?

山部 ) 自然が多く、遊び場が多いところですね。何もないという人も多いですが、物に溢れた生活をしているからこそ、そう感じてしまうのだと思いますね。

菊池 )遊びとは具体的にどんなものが楽しいのでしょうか?

山部 ) 四季に合わせた遊び方が出来ることです。紅葉1つで、色も景色も違います。誰も手を付けてないからこそ、綺麗なまま残っているので大切にしたいですね。
あとは、出逢う人が皆、面白くて優しいと感じます。羽後町が町全体で魅力を発信しようという取り組みをしているのですが、私が「出来れば、茅葺屋根の民宿を開業したい」という話をすると、実際に探してくださって。もう既に、物件は見つかっています。(笑) その他にも、何か困ったときに助けてくださる方が多いので人は皆、どこかで繋がっているんだということを実感しますね。
 
 
秋田の秋の風景
 
 
冬の景色
 
菊池 )秋田に来て気付いたことや変わったことはありますか?

山部 ) 人を大事にしたいという気持ちが強くなりましたね。 大学1年生の時は外に出るのが嫌で、秋にルームメイトが来るまでは秋田市内に出たこともありませんでした。引きこもりと言われてばかりだったのですが、大学2年生から自炊が始まり料理がどんどん楽しくなりました。1人では食べきれないので、週3回くらい友人を招いてご飯会を開いていましたね。 車を持ってからは友人と温泉に行ったり、よりフランクに人と関われるようになったと思います。

菊池 )アクティブに出かけるようになったのですね!

山部 ) 運転が好きなので、運転したいと思ったら出るしかないんです。(笑) 誘うと「行きたい!」と言ってついてきてくれたりする人がたくさんいて、私はその人たちとお話をして仲を深められるので、お互いハッピーでした。こうしたことをきっかけに、人と人とが繋がれる場所がたくさんできて20分でも、30分でも人と関わっていようと気持ちが変わりましたね。
 
運命の30分が就職に繋がった
 
菊池 )4月から秋田県内の製造業の会社に就職するとお聞きしました。就職活動はどのようにおこなったのか、ぜひ教えてください。

山部 ) 昨年の6月までは、一般的な就職活動をしていました旅行会社がメインで、色々なところを受けましたね。第一志望の会社もあり、最終面接までいったのですがやはり、何か違うなと感じてしまったんです。ずっと抱いていた「民宿を開業したい」という気持ちが、就職活動中に強くなったのも理由だと思います。
就職活動を始めた頃は、秋田に就職することなんて考えたこともありませんでした。実は昨年の9月まで内定がなかったのですが、先ほどお話した30分話した方と出逢い、10月の中旬に会社見学に行きました。10月末に試験を受け、内定をいただいたという形です。
 
 
菊池 )なるほど…。特に業界は決めていなかったのですか?

山部 ) 旅行会社には行きたいと思っていました。旅行を提供する側になりたいと思っていましたが、途中からは良い意味で「自分を雇ってくれる場所であったらどこでも良い」と考えるようになりました。(笑)
内定をいただいた会社は、ちょうど海外営業が出来る人材を探していたので、お互い欲しがっていたものが手に入ったという形です。入社後は、恐らく営業部に配属されると思います。最初は国内営業からスタートし、キャリアを積んでから海外営業になるかと。4月から研修が始まるので、緊張しています!

菊池 )今まで勉強していた分野とは違う分野ですが、その点についてはどうですか?

山部 ) 学んだことを役に立てたいという気持ちは、特になかったですね。ビジネスは会社に入ってからのほうが学べると思いますし、自分の性格上、やっていけば好きになると思っています。そこで楽しみを見いだせれば、どんどん夢中になれる自信があります。
入社を決めた理由の1つとして、社員の方との考えが自分に合っていたことが挙げられます。私の要望に応えてくれたので、凄く優しさを感じました。 最終面接では、緊張していたときに、社長さんに「秋田を選んでくれてありがとう」という言葉をかけていただいたんです。これで落ちてしまったらどうしようと思うくらい、ここで働きたいと強く思いましたね。

菊池 )運命の出逢いですね。
 
 
山部 ) その他にも「翻訳家や通訳の人にはなってほしくないし、物を売ってほしいから山部さんの考えとギャップが無いか」など、細かく聞いてくださいました。私のことを考えてくれていることが伝わって、嬉しかったですね。海外人材の枠を取ること自体初めてなのに、話をしてくださったので、お互い本音で話が出来ました。
面接では、将来、民宿をやりたいという夢があることを正直に伝えました。すると「何年後ですか?」と言われて。「30歳くらいの開業が目標です」と伝えたところ、「7年後か~!」と笑顔で言われたました。やはり、ここで働くしかないと思いましたね。

菊池 )嘘をつかずに、自分らしく話せたのが大きいのでしょうね。「民宿をやりたい」と強く思うようになったのは何か理由があったのでしょうか?

山部 ) 民宿を訪れて好きになったのもあるのですが、昔から「定年退職したら田舎暮らしがしたい」と漠然と考えていました。秋田県の自然と触れていくうちに、この自然で楽しむことを多くの人に伝えていきたいという気持ちが強くなり、やってみたいと思いましたね。料理も好きなので、料理も一緒に提供出来る場所を考えた時、民宿が1番良いなという考えに至りました。

菊池 )先ほどのお話の中で、もう既に物件があるとおっしゃってましたが7年後のキャリアは、やはり民宿の営業でしょうか?

山部 ) そうですね。30歳くらいまでの将来の夢です。複業にも憧れを持っているので、趣味の編み物のネット販売をしながら行いたいですね。
 
秋田で暮らす自分自身の今後のビジョン
 
菊池 )今後も秋田で暮らすことを考えていると思いますが、山部さん自身が考えている「これからの生き方」をぜひ教えてください!
 
 
山部 ) 私の中で、民宿を開業することは「通過点」だと考えています。30歳ぐらいで開業し、その後は秋田以外の他の地域でも民宿をやりたいです。 留学時代に出逢ったオーストラリア人が、ロードトリップが好きな人だったのですが「秋田は知らない。行ったことがない」と言っていて。「宿泊場所があったら行くのでは?」と思いました。特に東北は、道の駅があるので巡りながら泊まってほしいですし、せっかく秋田に来るなら田舎に来てほしいですね。ロードトリップができるような環境を作ることが、目標でもあります。
ただ、この方法は1人では出来ないことなので「ここはあなたに任せる」という形で、雇用面でも人の役に立つ環境を作ろうと考えています。全国各地で開業した民宿に自分も行きたいですし、地域性や人との出逢いを大切にしたいですね。

菊池 )そこまで自分のビジョンが出来ているのが素晴らしいです。海外には進出せず、やはり日本でやりたいですか?

山部 ) そうですね。(笑)

菊池 )最後に、これから就活を迎える学生や東北で働くことについて、何か考えがあれば教えてください。

山部 ) ひとつの職業に捉われる必要はないと思っています。これは就職活動をする前の考えなのですが、就職したら5年後くらいずつ転職をしようという考えだったんです。 複業もそうですが、やっている人がいないだけで何個も仕事を掛け持ちしても何も悪くないですし、自分のやりたいことを見つけて、ひとつひとつやり遂げる働き方をしていきたいですし、してほしいです!
ひとつの地域にずっと住んで、就職するという生き方も凄いと思いますが、1回出たらまた分かることもあると思います。私自身もそうだったので、外に出て戻りたいと感じた時期に戻るのも、選択肢としてありだと思います。

菊池 )山部さんの考え方や、生き方に刺激を受けました。ありがとうございました!
 
今回取材を行った国際教養大学のキャンパス内の様子
 
 
 
 
 
 

( 撮影 : 黒瀬圭野、長瀬さくら )

profile
山部理沙さん
 

大阪府出身 秋田県5年目
3歳から両親の影響でインターナショナルスクールに通う
趣味は、手芸(編み物)、料理、ドライブ、写真(カメラ)
人と話すことが大好き

interviewer
菊池みなと(特捜きくち)

出身地:宮城県石巻市
趣味:くるりの音楽を聴きながら電車に乗ること
東北の好きな所:東北に住む人の優しさ、あたたかさ
モットー:つながりは力
ひとこと:東北で得た「つながり」は大切な宝物です
<編集後記>
 今回、東北ウーマン初の大学生の取材となりました。東北に住む若者の地元定着率の低下が課題とされる中、大学進学をきっかけに第2の故郷である秋田で生きることを決めた山部さんの決意に、感銘を受けました。
 東北で生まれ育った私は、土地の魅力を大切にしながらも、心のどこかで当たり前だと感じていました。ですが、お話を伺ったことで東北の良さを改めて実感したと同時に、豊かな自然から作られる美味しいご飯や、人の温かさから生まれる地域の絆など、普段何気なく触れているほんの小さな出来事にも感謝をし、生活したいと思うようになりました。
 「秋田で民宿を開業する!」という夢を持ち、既に実現に向かって動いている熱意と行動力。私も負けていられません。目標に向かって歩みを進めていきたいです。