HOME
■ 東北ウーマンインタビュー
日本を守る、一番身近なヒーロー
前のページへ戻る
■ 東北ウーマンインタビュー
日本を守る、一番身近なヒーロー
日本を守る、一番身近なヒーロー
陸上自衛隊第20普通科連隊重迫撃砲中隊 伊藤瑞希さんインタビュー
高橋)まず始めに、お名前とご所属をお願いします。
伊藤)伊藤瑞希(いとう みずき)です。陸上自衛隊第20普通科連隊重迫撃砲中隊に所属しています。
高橋)自衛隊といっても、色々な所属があるのですね。重迫撃砲中隊という言葉を初めて耳にしました。
伊藤)重迫撃砲中隊は、120mm迫撃砲という武器を装備していて、主な任務は、後方の陣地から迫撃砲によって前線で戦っている人たちの支援をする事です。
その中で私は通信を担ってまして、電話機や無線機などを使って連絡をとったりしています。
ちなみに、この重迫撃砲中隊の構成員は男性ばっかりで、私、というか女性が入隊したのは10年ぶりだそうです。
高橋)10年ぶりですか、それはすごいですね。配属というのはご自分で選べるのですか?
伊藤)はい。とはいってもあくまで希望ですが。
一番最初、入隊したての頃はまだどこに配属されるか分からない状態です。3ヶ月間自衛官としての共通的な教育を受け、その後自分の職種が決まります。そしてまた次の3ヶ月間決まった自分の職種の教育が始まります。それらの教育が終わって、いよいよ部隊に正式に配属されます。配属後もさらに細かく役割が決まるのですが、大きな流れはこういった形です。自分が担っている通信手も、部隊に配属されてから決まりました。さらに通信手も通信手で専門の教育があるので、それにも参加しなくてはいけません。参加して、資格を持ってはじめて、通信手として扱われるようになります。
高橋)伊藤さんの中隊は伊藤さん以外男性と先ほど伺いましたが、やはり男性の中に一人だけ女性というのは、苦労もあるのではないでしょうか?
伊藤)そうですね(苦笑)。
私の所属している部隊は最近になり女性も受け入れ始めたので、こっちもあっちも手探り状態といいますか。出来る仕事と出来ない仕事があります。それは制度上出来ないのもありますが、女性と男性の身体的な作りによる問題もあって。私も他の人もどこまで出来るか分からなくて。だからこそ、ひとまず何でも挑戦してみよう、私出来ます、やってみます、ってなっちゃいます。やったことないことが出来るか分からないのは当たり前だし、本当は出来るかもしれないことを見逃してしまうのって勿体無いなって、私は負けず嫌いなので悔しくなっちゃうんですよね。
高橋)重迫撃砲中隊についてはお伺いしましたが、普通科連隊とはどういったものを指すのでしょうか。高校の普通科、のようなニュアンスとも違いますよね。
伊藤)そうですね。普通科連隊、というのは簡単に言うと陸上自衛隊の骨幹となる部隊です。
災害が発生した際の救助や捜索を主に担い、また非常時に第一線で戦う部隊のことを普通科連隊といいます。私の所属する第20普通科連隊はさらに6つに分かれていて、その1個単位が、中隊といいます。私の所属している重迫撃砲中隊の他にも、1~4中隊があり、また全体をサポートする本部管理中隊というものもあります。全体を大きく分けるなら、第一線で戦う、後ろでサポートする、方々で情報をとったり、通信したり。あとはそうですね、救護等を担う衛生や、ご飯とかを管理する補給などもあります。
中隊の中だけでもご飯を作ったり、通信したりと、最低限きちんと自立できる体制がなされています。こうした、色んな小さい機能が集まって、連隊として動いています。
一般的な話になってしまうのですが、自衛隊って組織の中だけで完結できるような自己完結性があって、大抵何でも出来るんです。
一口に色んな仕事があるって言ってしまえばそれまでなんですけれど、我々でさえ、こんな仕事あるんだ、というものがまだまだありますね(笑)。
高橋)伊藤さんは高校卒業後すぐに自衛隊入隊されたとお聞きしましたが、私の高校の同級生も卒業してすぐ自衛隊に入隊しました。進学や就職などの選択肢の中から、あえて自衛隊を選ばれたのはどうしてでしょうか?
伊藤)私は今19歳で、もともと高校卒業後は警察官になろうと考えていたんです。最初は父が自衛隊に興味を持っていました。
警察に入りたいという意思を持っていたときに、父が自衛隊の人と話をする機会をくれました。それで、話を聞いて、じゃあ、自分も、国のために働いてみないかって言われたのがきっかけですね。なので、大学とか専門学校とかには行かないで入隊して、親に応えられるように、親孝行がしたくて自衛隊に入りました。高校を卒業して、入隊したのは3月30日でした。
高橋)陸上自衛隊へと入隊する前とした後では、想像してたものとギャップなどはありましたか?
伊藤)実は、あまり無かったんです。教育中もむしろ、部活の延長のような、運動部の合宿みたいな感じでしたね。最初に入隊したときは、8人部屋でした。それで、皆で生活して、親と離れるのも辛くはなくって。けどこっち(=山形)には帰ってきたかったので[1] 、頑張りました。最初の教育期間では、団体行動を学びます。慣れていないと、泣く人は泣いてましたね。本当に寮みたいなもので、お風呂も共用でした。大きい浴槽があって、そこに代わる代わる入る、という感じで。私はもともと高校では運動部で、わりと合宿のような雰囲気には慣れてましたので、ホームシックみたいなものもあまり無くって。大きい不安も無かったです。けれどあんまりそういった雰囲気に慣れてなくて、ホームシックになる子もいましたね。ただ最初は泣いていた子も、教育が終わる頃には精神的に逞しくなって他県へと旅立っていきました。今でも連絡を取り合っているのですが、元気そうでした。
[1] 伊藤1士の任用区分では、当初宮城県多賀城市で教育が実施される。
高橋)入隊したら必ず、寮に入るというかたちですか?
伊藤)そうですね。自衛官の普段の生活環境ってあまりピンとこないかも知れないんですけれど、自分は、今二人部屋で生活しています。基本的に、寮生活が続きます。結婚するか、一定の階級になるまでは、皆です。
高橋)伊藤さんは山形県遊佐町のご出身だとお聞きしましたが、山形でも北の方ですよね。生活環境などで何か大きく異なったことなどはありますか?
伊藤)はい。遊佐は山形でも北の方にあります。おでこのほうですね(笑)。
それに比べてこの神町駐屯地[2] は南のほうにあるので、夏の暑さが結構違うように感じます。雪は慣れているので、全く大丈夫なんですが。最初の教育期間中は宮城県にいたのですが、あちらも暑いですが日差しが弱かったのでまだ大丈夫でしたね。
暑さといえば、訓練中たまにあるのですけれど、あまりに気温が高すぎると活動しないでくださいというアナウンスが駐屯地内に流れることもあります(笑)。
[2] 陸上自衛隊の所在地(拠点)を「駐屯地」、海上・航空自衛隊は「基地」と呼ぶ。陸上は拠点を転換しながら行動することが前提にあるため、呼称が異なる。
高橋)この仕事をしていて良かったなということはありますか?
伊藤)入隊してから体力もついてきて、生活リズムも整ってきたので、体調を崩すことが減りました。あとは、親や知人に、格好いいって言われるのも、頑張っているって理解されるのも嬉しいです。例えば災害派遣に行った時、助かったとか、ありがとうとか、やっぱり感謝されるっていうのは嬉しいです。
高橋)災害派遣に行くのは怖くないのですか?
伊藤)勿論、怖いです。よく他の子達からは怖いって言われますね。災害が起きた場所に行くんでしょ?って。ですがもし何か起きてしまったら直ちに私たちは現地へと向かわなくてはなりません。以前、そうした状況になり、深夜2時に災害派遣の召集がかけられたことがあったのですが、その時頭の中にあったのは、まずい、早く準備をしなくてはという意識だけでした。私たちは招集がかけられた際、1時間で準備し現地へと出発出来るようにしなければなりませんし、そう出来るよう常に備えています。ですから召集をかけられてすぐは、怖いと感じる暇もありませんでした。結局召集が解除されて現地へと行くことはありませんでしたが、もし本当に現地へ行くことになっていたら、きっと道中恐怖を感じるのだと思います。ですが、そういった恐怖も含め、私たちは常に覚悟しているのです。有事の際に皆さんを守れるように、きちんと動くことが出来るように訓練しているのです。
高橋)そうなんですね。いつもは知らない自衛隊の皆さんのお仕事を知ることが出来ました。今日はありがとうございました!
伊藤)ありがとうございました。
陸上自衛隊第20普通科連隊重迫撃砲中隊所属
山形県遊佐町出身
高校を卒業して3月30日に陸上自衛隊へと入隊。
宮城での研修の後、重迫撃砲隊への適性があり、配属を希望。
女性では10年ぶりの入隊者となり、現在に至る。
出身地:山形県舟形町
趣味:日本酒の飲み比べ、料理
東北の好きな所:春は山菜、夏は地元の若鮎、秋はきのこ、冬はこたつで飲むお酒
モットー:思い立ったが吉日
ひとこと:東北のおいしいもの、たくさん食べます。
長くなってしまいましたが取材にあたりご協力いただい陸上自衛隊神町駐屯地のみなさま、そして快く取材を受けて下さった伊藤瑞希さん、本当にありがとうございました。
〈HP紹介〉
20連隊HP:http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/unit_hp/20i_hp/index.html
陸上自衛隊HP:http://www.mod.go.jp/gsdf/