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■ 東北ウーマンインタビュー


“おいしい”発信から、地元の力のひとつに

“おいしい”発信から、地元の力のひとつに
漫画家・イラストレーター 杏耶さんインタビュー

山形県出身で、「食いしん坊イラストレーター」としてご活躍されている杏耶さん。Twitterフォロワー17万人越えで、簡単にできておいしいものを追求している魅力的なライフスタイルが、多くの人からの共感を得ています。 そんな杏耶さんの、“食”を通じて広がっていったご自身の歩みや、地元に対する強い思いについてのお話を伺いました。

 

見えてきた自分の味

 

齋藤 )杏耶さんは「食いしん坊イラストレーター」としてご活躍されていますが、イラストを描くお仕事をしたいと思ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

杏耶 )イラストを描くきっかけというのは…やっぱり小さい時から漫画家になりたいなとかイラストレーターになりたいなというのはずっと思っていました。そういうぼやっとした気持ちはずっとあったのですが、なかなか実現することはできなくて。その中でネットに絵をあげてみたら反応があったことで、色々声をかけていただいて、今があるといった感じですね。

 

飼っているうさぎさんを背景にした杏耶さん

 

齋藤 ) イラストの専門学校をご卒業されているとのことだったのですが、高校を卒業する際には、もう心に決めていたのですか?

杏耶 ) そうですね、高校卒業の時というよりも、小学校の時から他にやりたいこともなくって。でも、どこかで「絶対になるだろうな〜」と思いながらきたっていう感じですね!高校卒業するときも、専門学校に行くと言ったときも、母はずっと絵を描くところは見てくれていて。逆に、先生とか同級生とか一部からは「やめたほうがいいんじゃないか」みたいなことは言われたことがありますね。「もっと、ちゃんとした職につけ」みたいなことも…。でも、そんなのはあんまり気にせず、そのまま自分が勉強したいと思った専門学校に入れて良かったと思います。

齋藤 ) 先ほど、ネットにイラストを投稿したら反響があったとのことだったのですが、その投稿をしたのは学生時代のことだったのでしょうか?

杏耶 ) いや、学生の時は全然投稿したこともなくて!逆に、ネットとかしないでアナログで原稿を描いていて、漫画の専門だったので、それを小学館とか本当に大手のジャンプの集英社とかの出版社に自分で持ち込んで漫画を見てもらって…みたいなことをやっていました。ネットには、あげてなかったですね。でも、ネットにあげ始めたのは2014年くらいだったと思います。

齋藤 ) 元々漫画家さんになりたくて、専門学校に入ったのですね。それが、だんだんイラストに特化してきたのですか?

杏耶 ) 元々バトル系のストーリー漫画を描いていたんです。少年漫画が小さい時からすごく好きで、自分でも描いていたんですが、持ち込みしても形にならなくて。専門学校に入っていた時も、「あなたはストーリー系の漫画は向いてないけど、エッセイ系とかそういうものはすごく表現がうまいからそっち系にいきなさい」ということは、よく言われていたんです。けど、あんまり間に受けないで25歳くらいまでいて…。その中で、全然意図せず友達同士の内輪のノリで、ネットに食べ物系の絵をあげたんですね。

齋藤 ) そうだったんですね!

杏耶 ) そうです!それで載せたら反響があって、「あ〜、人って今こういうことを求めているんだ」と思って、認知されるようになってきました。今の、食べる・食べ物系のイラストとか漫画とか…エッセイですよね。そういうのも、どういう風にしたらわかりやすいかとか、みんなが食べたいと思うような内容とか絵にすればいいのかということは、本当に自分で「これをやろう!」と思ってやったわけじゃなくて。流れに乗って乗りながらTwitterとかの読者の反応をみて「あ〜そういうことなんだな。こういうことなんだな。」と思いながらやってきました。だから、考えてやってきたことじゃないかもしれませんね。

齋藤 ) 自分の得意としているところが現れていって、それに方向性を定めていったら、杏耶さんの軸ができてきたのですね。

 

 

杏耶 ) そうです、そんな感じです!でも、元々、今でもそうなんですけど料理をすることは得意ではなくて、逆に、食べることが好きだからやっているって感じですね!ただ、楽に作ることは好きだけど、料理を丁寧に作るというのは苦手かもしれないです。

齋藤 ) 食べることの方が好きなのですね!

杏耶 ) 食べる方が好きだし、作ってもらう方が好きですね (笑)

齋藤 ) 食べることが好きになっていったきっかけなどあったのでしょうか?

杏耶 ) 小さい頃から、ご飯を食べるのは好きでした。私は、シングルマザーで母が1人で育ててくれたんですけど、母が夜遅くまで仕事を頑張っていてくれて、なかなか親子の関わりっていうのが、朝もバタバタしているし夜も遅く帰ってきて話もあんまりできなかった記憶があるんですけど、ただ食事の時間だけは一緒にとって楽しかったなぁという思い出があって…ご飯を食べるのはそこで楽しいと思うようになりました。あと、友達との楽しい思い出というのが食べ物系に関してすごく多いなというのもあります。みなさんもあると思うんですけど、学校帰りに食べ歩きとかしたり、机並べてご飯食べたり、「〜の新作出たよね、美味しかったよね」みたいな会話のきっかけのところに食が関わっていて、楽しい思い出があるから今も好きでいます。大きく見積もるとそこが今の仕事の原点のような気がします。

 
読者の方と歩む食への変化
 

齋藤 ) 身近な人たちとの食での関わりが、今はSNSでの読者の方との関わりに広がってきていますが、発信する点において大切にしているところはありますか?

杏耶 ) 大切にしていることは1つだけありますね。「こういう風にアレンジしてしまってすみません」っていう方が結構いらっしゃるんです。けど、それは全然悪いことではないと伝えることです。ごはんっていうのはレシピ通りに作ったとしても、その家庭で続けて作っていくとその人の味になるわけだから、アレンジするのは当たり前だと思うんです。だから、私のレシピで最初作っても「でも私の味付けはもう少しこうした方が美味しいと思うんだよな」とか、「もっとこうした方が美味しいんじゃないかな」とか思ってアレンジすると思うんですよね。そして「すみませんアレンジして」って言って載せる人をリツイートする。そうすると、「こういう風にアレンジもできるんだ!」みたいな感じで、いい流れができると私は思っていて。だから、そういうのは謝ることではないよ〜!と、定期的に言うようにしています。

齋藤 ) 意外なお話でした!それだけ読者の方も、杏耶さんのレシピを大切にされているのですね。

杏耶 ) 私も、友達とか人から教えてもらったレシピで自分的なアレンジをしたら「ごめん!ちょっとこういうことやっちゃったけどすごく美味しかったよ」というと思います。どこかちょっと罪悪感があるのかなって感じながら、でもそういうのは全然持たなくていいんだよっていうのは、人に伝えていければいいかなっていうのは、すごく思っています。

 

齋藤 ) そのような、杏耶さんの美味しいものを追求していっているライフスタイルが、多くの人に影響を及ぼしている印象を受けたのですが、ご自身のライフスタイルに感じるところはありますか?

 

 

杏耶 )そうですね。最初出版したのは「あやぶた食堂」だったんですけど、その時は26歳とかで、まだ眠らなくても仕事ができたしご飯とか栄養とか考えなくてもやれていれた時期なんですね。そこから、最近ちょっとずつ、飲んだ次の日は胃もたれし始めたりとか、徹夜とかした後は体がきつくなってきたりとかして、心と体がバテやすくなってきたというのがあったんです。特に、去年30歳の時、婦人系の病気になってしまい手術とかしたんですけど、こういうことってこれから増えていくのだなと思ったんです。それで健康意識っていうよりも、体が本当にバテる前に何か簡単に、スナック菓子とか食べるよりも、ちょっと自分で家にあるものでパッと作れて薬飲んで休めるみたいなものがレシピで増えたらいいのかなと。だから、前みたいにバリバリ油!とかチーズ!とかの油っぽいもののレシピも減ってきたような気がしますね。自分で作っていて、これって優しい味だなと思うようなレシピが結構増えてきたなというのもあって、今年の10月か9月くらいに出版する本があるのですが、それは今までだったらカロリーどんっ!みたいな感じだったんですけど、今回はちょっとさっぱり系で疲れていても作りやすいというコンセプトでレシピ開発と漫画を描いています。

齋藤 ) そうだったのですね。

杏耶 ) 私自身も年齢を重ねてきたのですけど、私のファンの人や本を読む人も、ずっと若い方ばかりじゃないと思うんです。だから、みんなでいい歳の取り方というか長生きしたいというのがあって、健康で美味しいものをずっと食べられるような生き方をしたいなと最近思うようになりました。そういうので活動がそっち側にちょっとずつ寄っているというのは自分の中で思っていますね。

齋藤 ) 健康とともに心のバランスも考えるようになっていったのですね。

杏耶 ) そうですね。やっぱりストレスって、人間関係とか自分の中の「もっとできるのに、なんでこれしかできないんだろう」といった感じで、暴飲とか逆に何も食べなくなったりとかする時ってあると思うんですよね。特に、女性に多い気がして、吐き出すところがなかったりするじゃないですか。そういう心のバランスも少しは食べ物で解決できることもあるんじゃないかなと思っていますね。

齋藤 ) 心のバランスも考えながらご飯を食べていきたいと思いました!

 
地元の人へ、地元の良さという気づきを
 

齋藤 ) 杏耶さんのレシピは、どのようにお仕事に繋がっていったのですか?

杏耶 ) Twitterにレシピを載せていて、編集の方から声をかけていただいて、そこから出版しましょうという感じです。「Twitterでみました!」から今でもお仕事をもらっている感じですね。

齋藤 ) Twitterの発信によって、最初からうまくいっていったのですか?

杏耶 ) いや…。2013年の末くらいにバイトを辞めて、2年以内の27歳の時までに本を1冊出せなかったら、漫画家とか絵の仕事に就くという夢を全部諦めようと思っていたんです。その時に、どうやったらいいのかなと思って。個展とかしたらいいのかなと思って、山形でしたんですね。でも、個展をしても1週間で母を含めて2人しか来なかった時もあったりとかして…。だから、知名度がないとお客さんも来ないんだと思いました。それでも個展は、横浜でとか友達のところを借りて絵を置いてもらったりして続けていたんです。でも、全然お客さんも来ないし、絵も売れないしで、何をしたいんだろうなって。その時友達に「何がしたいの?」って聞かれて、「食べ歩きとか楽しそうなことをしたいな」と言ったら「そういうのをやればいいじゃん!」って言われたんです。あやぶた食堂を始める前に、山形の食べ歩きとか描いていたんですよ。他にも、友達同士でレシピを交換したり、そういうのを絵にして描いて載せたらバズったって感じですね。その間が半年くらい悩んでいて、たまたま当たったって感じですね。

 
 

 
 

齋藤 ) 山形での食べ歩き紹介のお話があったのですが、今、山形の情報誌であるZERO23で連載をされているなど、地元についてのお仕事をするときの心境はどのようなものがあったのでしょうか?

杏耶 ) イラストレーターになると決めた時に、ZERO23さんに電話したんですよ!イラストレーターになるってどういう風にしたらいいか分からなかったから、まず雑誌に「イラストレーターしたいんですけど…」って浅い知識で電話したんです。でも、その時は断られてしまって。(笑) だから、ZERO23さんから声がかかった時、ようやく地元で仕事ができるなっていうのはすごく感じて。すごく嬉しかったですね!

齋藤 ) 地元についてのお仕事をしたいという気持ちはいつからあったのですか?

杏耶 ) 地元にいた時からありましたね。山形のいいところって、食べ物はもちろん素敵です。でも私はそれよりも、みんなが「普通だな〜」と思っていることの方が素敵なのだなと、東京に来てから思ったんです。山形市にある七日町のちょっとレトロっぽい雰囲気の通りとか、すごく好きなんですよね。ちょっと裏をみれば川があったり、大正レトロな建物だったり、素敵な喫茶店があったり。そういうのって、県外の人から見ると魅力的に見えるけど、県内の人たちにとったら普通のことだからあまり注目していないんですよね。でも、その普通のことを発信できたら、実はそれが魅力であることを知ってもらえるんじゃないかと思っていて。発信したい気持ちは、地元にいた時から持っていましたね。

齋藤 ) 地元の人に地元の良さを伝えたいという気持ちが、強かったのですね。

杏耶 ) それもありますし、みんなが普通に思っていることって、県外の人にとってはすごく良いことだったりするかもよ!といった気づきを、知ってもらいたかったのもありますね。
 

齋藤 ) 今、自分たちが学んでいるところに通ずるものがあって、聞いていてとても嬉しくなりました!

 
 

 
 

杏耶 ) うんうん。やっぱり田舎の人って「うちすごい田舎だから」とか下げて言っていて。人に言われるより先に自分で言った方が傷つかないみたいなところが、多分田舎の人のどこかにずっとあると思うんです。でも、そうじゃなくて。今は、良いところを発信しやすいようになってきたかなと思っています。

齋藤 ) 今回の取材が東北ウーマンということで、東北全体に思っている印象などはありますか?

杏耶 ) 印象ですか…やっぱりまだ、田舎なのをちょっと恥ずかしいと思っているところがあるように感じますね。あとは、良いところで、お酒とかが美味しいっていうのを若い人とかにも知って欲しいなっていうのは思っています。日本酒とかを飲む若い人ってまだ少ないような気がしていて、東北のことを知ってもらうには日本酒と郷土料理っていうのが1番良いなと思っていますね。その土地で作られている日本酒って、その土地の郷土料理とぴったりなんですよね!海沿いだったら、海の幸に合う日本酒とか、山形だったら、山の山菜に合う日本酒とかが本当に多くて。そういう風に作られた経緯というのが色々あって、そういう背景を調べたりするともっと自分の地元のことについて知れるので、ぜひ飲んで欲しいですね。日本酒が美味しいイメージはあると思うので、イメージのままにしておくんじゃなくて実際に飲んでもらったり食べてもらったり触れてもらうと、もっと自分の地元のこと好きになれるのかなっていうのを思いましたね。

齋藤 ) 実際の体験につながる橋渡しを、杏耶さんはされているのだなと感じました。

 
才能が埋もれない環境を目指して
 

齋藤 ) 今は東京でお仕事されているとのことだったのですが、きっかけはなんだったのですか?

杏耶 ) そうですね。祖父の介護がなくなって母の負担が減ったこともあって。あとは本が売れ始めて、仕事がやっぱり順調にいったからですね。その時はまだ山形で仕事できるようなビックネームでもなかったので、東京に行ったほうが仕事がいっぱいあるなと思ったので、出てきましたね。山形にいても、山形の仕事が来ないんですよね。

齋藤 ) そうなんですね…。

杏耶 ) そうなんです。山形のデザインの仕事の回り方に、思うところがあって。またその時、やりたい仕事が自分でやれるほど、自分の力はまだそんなにないと感じていて。だから、もっと自分の力をつけてから地元に帰って、自分で仕事をやりたいなっていうのは今でもずっと思っています。

齋藤 ) そういった目標を持ちながら、仕事をされているのですね。

杏耶 ) そうですね。山形にも芸術の大学があって、良い人材を輩出していていますよね。それを、山形で雇えるような形がもっと増えたら良いなと思います。就職は東京や県外になったりするイメージがあるから。東京にわざわざ行かなくても、東北全体で仕事ができるようになれば、もっと才能が埋もれずにすむのかなと思います。自分だけの仕事じゃなくて、自分の周りの人の仕事が増えると自分の仕事も増えて活性化する。そうしていけば、土地も活性化していろんな仕事が入ってくるといった循環ができてくると思っていて。自分がその力のひとつにでも、なれたらいいなと思っています。

齋藤 ) 学生にとっても、とても心強い言葉です…。

 

 

 
 

杏耶 ) いえいえ…数年前、専門学校の1日教員をさせていただいたことがあって、その時は卒業間近の子たちがたくさんいて、「卒業したら何になるの?」って聞いたんです。そしたら「居酒屋の店員です。」って言われて…。せっかく専門学校にも入って、その子はすごくセンスもあったのに、そういうのはすごくもったいないと思ったんですよね。あぁ、こういう子がいっぱいいるんだなって。大学だともっと色々かかるのに、勉強してまでも、夢を諦めたり、親の反対を押しきれなかったりとかがあると思ったんです。でも、親も心配しているから言うのであって、だからこそ反対されないためにちゃんとした職業なのだと認知してもらえるように、まだかかるかもしれないけれど一歩一歩頑張っていくしかないのかなと思っています。自分のしたいことや職に就けない、田舎だと特にというのが、すごく歯痒かったから…。まだ力はないけれど、徐々に自分のできる範囲で、こういった取材で話すようなことも大事なのかなと思ってやらせていただいています。
 

齋藤 ) 絵を描く、デザインをすると志している若者の将来を考えてくださる地元の方いてくださることは、本当にありがたいことだと思いました。

杏耶 ) いやぁ、自分が若い時には、そういう人が意外に周りにいなくって。こういう仕事をしてきたんだよって自慢げに言ってくる人は、多かったんです。けど、そうじゃなくて、こういう仕事をしてきたから地元でもこういうことをやりたい、だから一緒にやらない?こういうことできる?って聞いて欲しかったんです。そういうのが、地元で増えて欲しいなと思ってはいますね。

齋藤 ) 地元で胸を張って仕事がやれる環境が、夢ですね。


杏耶 ) 親も自信を持って、うちの娘はデザイン会社に務めていて、この間あそこの看板デザインしたのよ!とか、そういうのがどんどんどんどん言えるようになっていきたいなと思っています。
 

齋藤 ) こういったことを志して今の活動を続けていけるモチベーションはなんですか?

杏耶 ) うーん、モチベーションは、やっぱり同じような仕事をしている友達が、東京でできたので、そういう人たちと会話することですね。「こういうことやりたいよね、これから」とか、そこから、じゃあどうすればできるのかっていう話をするのが、1番モチベーションがあがりますね。やりたいよね〜で終わるのではなくて、じゃあこういうところにアプローチかけていったほうがいいのかなとか路線あげたほうがいいねとか、目先の目標を立てながら1歩1歩上に登っていくってことを考えたり行動したりすると、やっぱりモチベーションがあがります。
 

齋藤 ) そんな杏耶さんから、東北ウーマンの読者の方に、メッセージをいただけたら嬉しいです。

杏耶 ) 東北に生まれてよかったなぁと思うことは、年々増えていくと思います。若い時とくに学生の時は、東北じゃなくて東京とかに生まれたほうがよかったな〜と思う瞬間が多かったと思っていて、例えば行きたいライブが簡単に行けるし、アニメのグッズもわざわざ代行して頼まなくていいしみたいな(笑) 若い時は、やっぱり地元のマイナスの面とかをよく見てしまうとは思うんですけど、どんどん年齢を重ねることによって視野が広がって、いい面とか懐かしい面が見えてきて、自分が嫌っていた部分はいい面だったのかもしれないと思うようになってくるから、あまり悲観しないで今いる東北で過ごしている日常をぜひ楽しんで欲しいなと思います。

 

齋藤 ) ありがとうございます。最後になるのですが、この夏を乗り切るための杏耶さんオススメ夏レシピを是非教えていただきたいです!


杏耶 ) 「ド丼パ!」3巻にある、『蒲焼き茶漬け丼』ですかね!サンマの缶詰めとキンキンに冷えた麦茶をご飯にかけるだけで完成のレシピが、個人的にオススメです!

 

 

 
 
 

齋藤 ) とっても美味しそうです…!今回聞かせていただいた杏耶さんの地元に対する思いを、私たちも繋げていきたいと思います。本日はありがとうございました!

 
 

 

(撮影:井澤綾香)

 

 

profile
杏耶さん

 

山形県出身

宮城県日本デザイナー芸術学院仙台校卒業

2011年イラスト制作の活動開始

2013年からイラストレーターとして本格始動

Twitterにて様々なレシピを公開中

著書に、『あやぶた食堂』、『ド丼パ!』シリーズ、

『のんで東北たべて東北』、『いいわけごはん』など多数。

Twitter: @ayatanponpon

 

interviewer
齋藤 優有 ( 丸めがね齋藤 )

 

出身地:山形県山形市


趣味:絵を描く、写真を撮る、素敵な声の人を見つける


東北の好きなところ:空の移ろいが綺麗なところ


モットー:なんとかなるさ!


ひとこと:東北で生きるを見つける

 


 
<編集後記>

いつも見ている山形の情報誌の連載や、本屋さんの店頭でなど、

山形で過ごす中で何度も杏耶さんのイラストを目にする機会がありました。

おいしいものを追求する姿勢には、 食べることに対する思いが色濃く関わっていて

読者の方とのコミュニケーション然り、

本当に好きなのだという気持ちが伝わってきました。

そして、“食”に関する面と同じくらい、地元やご自身と同じような

夢を追っている若者たちの将来への思いが、とても強いことが印象的でした。

私たち学生の目線から、 どう地域が良くなりどうこのデザインという

仕事のあり方をよくしていけばいいのかを考えていてくださり感激しました。

今、大学で学んでいることやこの活動を通して、杏耶さんの熱い想いを繋げて

いけるような人になるために行動していこうと思います。

取材にご協力いただいた杏耶さん、本当にありがとうございました。